| 霊隱禅寺 |
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霊隱禅寺は西湖の西北の北高峰にあリ、“雲林禅寺”ともよばれる。インドの僧彗理が東晋の咸和元年(326年)に創建、一干六百年の歴史が有った。霊隱禅寺のスケールが大きく、“東南第一禅院”と呼ばれる。
お寺の前に御碑亭が有り、清代乾隆皇帝は六回も霊隱寺に来られて、詩40首を作って、御碑に刻まれている。天王殿の額は康煕皇帝の親筆の「雲林禅寺」また、近代有名な仏教居士書道家黄元秀が書いた「霊鷲飛来」もある。天王殿にある四天王は高さ8メートル仏教伝説の中の風調雨順をまもる神様である。真ん中は彌勒佛で.その後に韋陀天像があり,一本の楠木で造られた宋代のもの。
大雄宝殿に現代有名な書道家沙孟海が書いた額がある。中のお釈迦様は唐代の仏像をまねて.24本の楠で彫刻し、高さ24.8メートル、顔が慈愛深く、わが国の寺院の第二大仏である。人々が殿内に入って頭を上げて見ると、すぐ仏像の視線と合う。
大殿の両側は「二十諸天」、後に座っているのは「十二弟子」。後の壁には善財童子が五十三人の名師を歴訪、最後に悟リを得た仏話が像で描かれている。五十三箇所の仙山には大小の仏像が計156体あリ、それぞれの姿勢はいきいきとしている。
この彫塑像は宗教芸術で相当の価値を持つ。天王殿の前には北宋二年(969年)に建てられた経幢が二基あリ、東のは高さ7.09メートル、西のは11メートル、多層八角形、精緻な彫刻をしている。大雄宝殿の前に九重八角楼閣式の二基の石塔があり北宋(960年)に建造されたもので、高さ12メートル、典型的な宋代の建築である。 |
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| 天童寺 |
| 寧波市東25キロの太白山の麓に有リ、酉暦300年創建、“東南佛国"と呼ばれる。天童寺は佛教臨済宗の重要な寺で、日本曹洞宗の祖庭である。寺内には宋以来の貴重な石碑が多く保存され、その中に康煕・雍正の御書碑と“十八羅漢画像碑"が有る。明の崇禎年間に鋳造された“干僧鍋"は天童寺の盛んな時期に僧も数千人いる繁栄景象を反映している。 |
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| 天寧寺 |
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金華市にあリ、北宋大中祥符年間(1008-1O16)に創建、「承天寺」と呼ばれる。元代仁宗延祐五年(1318年)再建した。明正統の時に修復して「天寧万寿寺」と改名。大殿以外に何も残らなかった。大殿は正方形の建物が三間あリ、梁は一本の太い木で、横はアーチでつなげた。全殿のアーチは数百本もあり、鳥の様な形をして、地元の人々は「百鳥朝鳳」と呼んでいる。1979年再建し、元代の形で保存された。関係部門の測定によると、大雄宝殿の柱はすでに干年以上の歴史がある。はリなども800年の歴史がある。宋代から明代まで江南の建築構造の変化の研究に珍貴な実物であリ、大変参考価値をもってる。
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| 大佛寺 |
| 新昌城1キ□離れた西南にある大佛寺は東晋永和年間に建造され、三百余人を集めて岩壁を深く切リ取リ、世に稀な傑作一彌勒仏像を彫った。576年に石仏に金色を施し、洞窟の入口に楼閣を作った。今、仏像の台座の高さは2メートル、仏像の高さは13.74メートルで、豆頁は4.8メートルで、耳の長さは2.8メートルで、目の長さは1.3メートルで、両膝の距離は10.6メートルである。人体の比例から言えば石仏の頭がからだの三分の一を超えれぱ、比例がひどく失調するが、古代の彫刻芸術家は人間の視差をうまく利用して大仏の形象をさらに荘厳に見せた。今は江南の最古最大の室内坐像のである。仏像の顔は額が広く、鼻が高く、表情も慈愛深くて脱俗し宗教界と學術界の注目を引いた。 |
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| 慧濟禅寺 |
| 海抜291.3メートルの白樺頂にあり、普陀第三の寺である。敷地面積18000平米、建築面積6188平米、殿堂と樓閣が145間。山をうまく利用し天王殿の後に大雄寶殿、大悲殿、藏經樓、方丈室等が同一平行線に並び、浙江東部の園林の特色を持っている。 |
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| 下天竺寺 |
| 法鏡寺とも呼ばれる。東晋咸和の時、彗理は武林山を天竺国の霊鷲山の峰と呼んだのでこの山は「天竺」と呼ばれ、峰は「飛来」と呼ばれる。人々は峰の南に建てた寺を天竺寺と名付け、上、中、下三天竺に分かれた。下天竺は最初はインドの高僧彗理が霊隱寺と同時代に建てた「翻経院」で、佛教の経典を翻訳する場所。何回も建て直された。乾隆27年御題の額「法鏡寺」を賜わった。下天竺のスケールが大きく、天王殿以外に、園通宝殿と後大殿を再建し、薬師仏を供える。現任の下天竺寺は杭州の尼さんが修行している場所である。 |
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| 中天竺寺 |
| 法浄寺とも呼ばれ、天竺山の稽留峰にある。隋開皇(597年)インドの禅師宝掌が道場を建てたが、唐代に盛んになり、ベトナム僧の澄観もここで御経を翻訳したことがある。五代呉越王銭弘俶は976年に正式に寺を建て、「崇寿天聖寺」と名付けた。乾隆三十年(1765年)御題の中天竺寺額を賜わり、「法浄寺」と改名された。お寺は何回も建て直されたが、現在のものは清代の建築。 |
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| 上天竺寺 |
| 法喜寺とも呼ばれる。伝説によると、後晋天福の始めに杭州に訪ねた僧の道翊は白雲峰に光っている木を発見し、それを観音像に彫刻して供えた。天福4年(939年)呉越王の銭元灌はここでお寺を建て、北宋に天竺の観音が霊験だと伝わってから、天竺へお参リする習俗になった。各代の皇帝と役人は上天竺寺へお参りし、観音を参拝する。乾隆皇帝は六回も江南を訪ね、十回も天竺へ参拝し、親筆の「法喜寺」を書いた。上天竺 禅源寺寺はいま再建中で、天王殿、園通殿などはもう修復され、放生池もさらって、真ん中に石橋をかけ、古樹が林立し、荘厳ある。 |
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| 阿育王寺 |
| 太白山の華頂峰の下の山阿育王の麓にある。玉幾山に面して左側は瓔珞郷、右側は寶幢郷、寧波市から20キロ離れ、東南の天童寺までは15キロ離れる。阿育王寺は中国佛教史及び中日文化交流史に重要な地位があり、世に名を馳せた舎利宝塔で有名。阿育王寺は清の建築で、面積は12.41万平米,現存建築の面積は22867平米、殿、堂、楼、閣が600余有る。お寺は南に向いているが、南から北へと次第に高くなリ、主な建築は天王殿、大雄宝殿、舎利殿。大雄宝殿は清の康煕十八年に(1679年)再建、高さは15.8メートル、面積は870平米、殿の上に乾隆親書の「覚行但圓」額がある。舎利殿は1678年に創建、1916年再建、北京故宮を見本に建てられ、高さは15.3メートル、上に金色の瑠璃瓦で屋根を葺いた。殿の中に石の舎利塔があリ、七宝焼をはめた塔亭に懸宝磬、舎利珠がかかっている。殿の上に宋高宗、宋孝宗の御書「佛頂光明之殿」、「妙勝之殿」がかかっている。藏経楼には貴重な藏経十ケースも保存されている。藏経楼の額は“欽賜龍藏"である。 |
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| 国清寺 |
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天台県北部3キロ離れた処にあり中国佛教第一宗派天台宗の発祥地である。日本、韓国天台宗の本山で1400年の歴史の隋代古刹である。始めは“天台寺"呼ばれ、隋煬帝は605年に゙国清寺"と言う額を授けて、その名を得られた。その後千年の間に国清寺は何回も修復されたが、今の建物は清雍正年間に建てられ、1973年に修復されたのである。国清寺は山をバックに建てられ、600の部屋が長さ280メートル、幅170メートルの八柱峰の斜面に分布する。全寺には四殿、六楼、八堂、二亭、二室など30余棟の建物があリ、いろいろな廊下を含めて、50箇所の庭ができて、建物はすごく立派である。
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| 普濟禅寺 |
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靈鷲峰の南麓にあり、普陀山で観音を祭る主な寺で、法雨寺、慧濟寺とともに普陀山の主要観音道場で、普陀山の最も重要な景観。前身は唐大中年間に作っだ不肯法観音院゙で、後梁貞明年間に今の場所に移して寺にした。宋神宗元豐三年(1080年)に゙寶陀観音寺゙の名を賜わってから盛んになった。康熙三十八年(1699年)皇帝から゙普濟禅寺゙を賜わった。建立以来900余年、寺院を何回も修復して今の規模の仏教聖地に発展した。普濟寺の敷地面積は37019平米で10殿、12樓、17堂、閣和軒、のべ367間、建築面積15288多平米。゙圓通寶殿゙は全寺の主殿で幅は47メートル、奥拘きは29メートル、高さは21メートル。黄色の瑠璃瓦、多重のひさし、゙疏朗博大、宏偉巍峨゙の感がある。殿上に祭る 盧観音像の高さは8.8メートルである。中軸綫上に御碑殿、天王殿、大圓通殿、法堂、藏經閣、方丈殿、内壇八重がある。中山門と天王殿の通路の兩側に鐘樓と鼓樓があり、それぞれ3500キロの巨鐘と約1.6メートル直径の太鼓をぶらさげ夜半になると鐘聲が海天に響き渡る。
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| 禅源寺 |
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天目山の昭明、旭日、翠微、陽和諸峰 の麓にあり、もとは「双清荘」の旧地で ある。清の康煕四年(1665年)に建てられ、敷地面積は二万七千平米で、寮舎は500力所、建築が素晴しく、東南佛教聖地の一つである。雍正十一年(1733年)世宗の御書「禅源寺」という額が有り、咸豊十年(1860年)戦争で焼けてしまって、同治年間(1862-1874)再建した。抗日戦争中、浙西行政公署はここにあり、1939年3月周恩来は寺内の「百子堂」で団結抗日の講演をした。1941年4月15日日本軍の飛行機に爆破され、山門、天王殿及び客堂四間しか残らなかった。1947年韋駄殿が再建された。1985年、お寺の塀と山門が整備され、お寺の左側に渓流が流れ、青龍池に青い水を湛え、寺の前後に古い木が林立し、緑一杯になった。
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| 浄慈禅寺 |
| 呉越王が後周顕徳元年(954年)に創建したもので、杭州南屏山彗日峰の麓にあり、最初、「彗日永明院」と呼ばれた。南宋高宗は父の徽宗を祀られ「浄慈報恩光孝禅寺」と改名し、「浄慈寺」とも呼ばれる。江南五大禅院の一つである。この寺は南宋皇帝の命令で造ったお寺なので、各代の王室と役人がよく訪れる。 |
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| 径山禅寺 |
| 余杭西南の景色が奇麗な径山にあり、最初は唐代に創建され、南宋の時は五山十刹のトップで、古くから佛教の聖地である。一番盛んな時期は仏像が万体、僧人が三千人、参拝客が大勢見えた。南宋時代に「臨済宗」が盛んで、径山寺は日本臨済宗の本山であった。国内外にも名を馳せている。径山寺のお茶は日本茶道の発祥でもある。 |
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| 雪費寺 |
| 青い山に囲まれた雪竇山盆地にあり、唐の会昌元年(841年)に創建し、明の「天下禅宗十刹の一つ」だ。お寺には大雄宝殿、藏経楼、法堂、方丈室などがある。歴代名人例えば唐の皮日休、陸亀蒙及ぴ宋の王安石、曾鞏等が雪竇寺を訪れたことがあリ、干余リの詩を残した。伝説によると農民蜂起のリーダ黄巣は寺の前の含珠林に埋葬されたそうである。 |
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| 保国寺 |
| 寧波江北区洪塘鎮鞍山村に有り、市内がら13キロ離れる。中国江南に保存された一番古く完全な木造建築である。宋代に創建、北宋大中祥符六年(1O13年)再建された。敷地面積は12000平米で江南の典型的な建築である。大雄宝殿は保国寺の唯一の北宋時代の建築でほかは明、清、民国の建築である。立派な大雄宝殿の全部構造はアーチ形でほぞを使って釘などは一本も使わなかった。三つの円形の美しい天井は大殿の梁を遮リ、下からあまり見えないから「無梁殿」と呼ばれる。建築が独特の外に虫食わず、鳥止らず、鼠入らずの特色がある。大殿は清潔て各隅に鳥、クモ、白蟻もいなかった、たしかに江南珍しい古代木造建物である。 |
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| 江心寺 |
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温州江心嶼にある江心寺は最初は南宋紹興七年に作られ、清乾隆年間に重建された。寺院は前、中、後三殿がある。前殿は金剛殿,中殿は圓通殿(正殿),后殿は三聖殿。寺前に七寶如來石塔がある。寺院大門の両側に南宋状元王十朋の書いた対聯“雲朝朝朝朝朝朝朝朝散,潮長長長長長長長長消"がある。
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| 法雨禅寺 |
| 千歩沙北端にあり明萬歴八年(1580年)に建造され、最初の名は海潮庵。普陀山の第二大寺。清康熙三十八年(1699年)に皇帝から゙天花法雨゙ど法雨寺゙の額を賜わって法雨禅寺と呼ぶようになる。法雨寺の敷地は33408平米、建築面積は8820平米。殿堂と房舎294間があり、山をバックに天王殿、大雄寶殿から方丈殿へ段々と高くなり、遠くから見れば立派に見える。中の九龍観音殿は最も輝かしく、清康熙三十八年(1699年)金陵(今南京)琉璃瓦と明の故宮九龍殿を使って建造し、国内の寺院建築でランク最高の仏殿である。竜の形が各々違い造形も綺麗で、国家の重要文化財に指定された。 |
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